nkafeの日記

少ないお金で毎日しあわせ!

夜も働ける

夜も働けるといえば、働ける。

水商売とかそういう意味ではなくて、販売など
夜8時や9時で少し時給が上がる職場で働ける
な、と思う。

時給が上がっているタイミングで働けば割がいい。効率よく働きたい。

近所に私立中高がある。
年々、学力が落ちて進学先の大学の偏差値が落ちている。

学校内に学力支援の施設が立つ、自宅からは500メートルだ。
夜10時までの塾だ。

時給はかなり高い。
オープンスタッフを募集していた、受付事務だ
時間に余裕があること、人と話せること、保護者の気持ちがわかる事。
事務作業はあんまり自信ない、営業だったからな。

10時まで大丈夫なのは強みかな。
あとコミュ力も。

一応、応募してみた。

あんなに卑屈になっていた自分が、少ない時間でも働こうと動いているなんて。

生きていくのは、不思議だな。

未来は勝手にやってくる

本当にそうだ。

退職して1人になって、汚らしい格好でスーパーや本屋に歩いて入りながら、1人だなあとしみじみしたのはほんの300日まえ。

私は変わらず、どうでもいい格好だが新しく出来た娘と同い年の女の子のコスプレ発表会のためにバスに乗っていた。

どうやって考えたって、そんな未来は予想できない、同じように病気で退職して泣いて自己嫌悪になっていた人と同じ気持ちで毎日過ごすなんてことも。

私は、ただみるだけの転職サイトにちゃんと応募した。面接も履歴書もスマホで完結。

採用にならなくていい、私は最近まで転職サイトを見る自分が嫌いだった。
また、みるのかまた転職するのか。
ヘルニアになって正社員の夢がなくなって
また、探すのか、ダサいダサすぎる。
中途半端、仕事も健康もダメ。

そんな毎日から、わたしはワクワクして応募を
し始めた。

近所の本屋にも、少し問い合わせした。
優しかった、優しい対応だった。
まだ行くと決めてないのに仕事内容まで教えてくれた。私はもう無理しない、仕事もできないんだから強がらない。

それでも一緒にいたいと思ってくれる人とだけ
一緒にいたい。

良かったんだ。強くなったんだ。

完全なる、お客さまへと。

仕事をするなら、こんなところがいいなあ。

と、たくさんの求人票から偉そうに上から目線で選ぶ毎日。

そう、わたしには余裕がある。

白い壁にかわいいつる草は、綺麗なグリーン。
ラクゼーションを習得している身としては
仕事する内容として、エステや整体とアロマテラピーが一緒になった店を探している。

求人に、気になる店があった。
今日、お客さまになって偵察に行った。

完全なる、お客さまになった。
また、施術してもらおう!次は貯金してでも
1時間半やろう。
そう思ってしまった。

仕事ではできない。やはり、足の裏なんかあんなにずっと指で触るなんて、中腰でずっと。
私はあんな根性がない。

ものすごい根性のその先に、あの柔らかさがあってあの技術があるんだ。
47歳がいまからできることじゃない。
私が出来るのは施術を受けてお金を払うこと。

やはり、エステやリラクゼーションの仕事は出来ないのか。そう思った20分だった。

小柄で働き者で、疲れを感じさせず働き続ける
余計な質問はしない。気が強そうな眼差しだが
話し方は腰が低く丁寧だ。

施術中、ガサゴソと音を立てていたのは10歳くらいの少女だった。
お菓子をたべていた。 
子連れ出勤なんだ、子どももじっくり家でみることもなく働きつづける毎日。

あー。
私は甘い甘くてだらしない、根性も勇気も持久力もない。

本当にやってみたいこと

美容エステ、アロマテラピー職業訓練校に通い始めて2ヶ月くらいになる。
雇用保険を貰いながら通うこともできるため、欠席条件は厳しい。
冬休みに入るころにコロナに罹患して2日休んだが感染病はペナルティが軽く、授業を購入することもなく通うことができた。

クラスメイトは7人で、25歳、28歳、47歳、48歳、53歳、55歳。
57歳の人は介護との両立が難しい状況になって
退校した。

そもそもは、求職活動をしたくないとか、経済的に余裕ある人が多くて、のんびりしているが勉強は好きな傾向がある。

学校に通うのは、30年振り。
職場とは違って上下関係がなく、親戚が集まったような感覚だし、クセが強い人でもクセがなくても一緒に同じことをしていると自分は何が苦手でどういうことが抜けていて、でもこんなところは人より上手いとか、見直すことが出来る。良い経験だと思う。

1日、7時間座学で座りっぱなしでも、ヘルニアが再発することはなかった。肩凝りがひどくなるのは運動不足だからだ。
一年半、1人で専業主婦という、無職であり、
コンビニやスーパーのレジの人にうなづく
ようなやりとりを1日一回する程度の毎日から、
学校に通うのも勇気がかなり必要だった。

だんだん、人と話すようになって今では私が1番うるさいくらい話していて、うるさいよと言われて笑ったりして。
本当に久しぶりだな、としみじみ思う。
みんなとまだまだ一緒にいたいのに、仕事に行かなければならないし、今度は通勤もふくむ、時間もう少し遠くまで頑張らなければならない。

いつまでも貯金がもたないし、大好きな京都に行けないから。

私に選択肢なんてなかった。
スムーズに必死にそこにある道を走ったけど
選択肢が無かっただけだ。
家族優先、家事優先、それが叶うならどんな仕事でも良かった。

私が私のために、一回の人生や今度の人生のためにしてあげられることはなんだろうか。

仕事はたくさんある。採用にはならないかもしれないけど、もうこれからはなんでもいいわけにいかない。

おんなじきもちで

皮膚科学やホメオスタシス

そういった勉強と同時に並行して、フェイシャルエステとボディエステについて技術を習っている。
難しいし、不器用な私は自宅で何度も復習して
最近やっと仲間に教えることも出来て、なんとかみんなの役に立つ事ができたばかりだ。

夢中になって勉強して、テストを受けたり出来が悪くて恥をかいたりすると悲しい気持ちとまた達成感もあった。一年半、仕事をしていないし日常で人と話すこともなかったから、久しぶりだということもあってその達成感は感動するものだった。

練習のために、フェイシャルエステ用の顔マネキンや、施術用ベッドも買ったのだが、就職先が見つかるかはわからない。
50歳になるし、ただガムシャラに働いて、交通費やガソリン代や時間に支出が増えると、特にこれからは手取りが減るし、遠距離だと働きづらい、遠距離で働くのは避けたい。

そして体力的に長続きするために、85000円まで、つまり扶養内でなければまた自分の身体が故障する。
近距離扶養内パートでエステやリラクゼーションサロンなどはない。

一緒に働いている仲間たちは、雇用保険を受給しながら求職活動はせずに学び直しに来ている人が多く、そもそもがエステ業界に就職するつもりがない。

ほとんどの人は、そうなんだろうと思う。
ハローワークの訓練校なんだから。

私は、しっかり学んで1人で開業できたらなあて思う。そのために仕事につきたいけど、仕事することでまた故障しては、ほんと意味ない。

これだ。
やっぱり50歳で、なんとかしようと思っても
壁がたくさん立つ。

自分1人なら、いいけど。
いや、自分1人でもだめか、故障したら私に関わる人みんなが辛い思いをする。

さよなら、小休止

2022年、最後はコロナ罹患で着地。
いいじゃないか今のところ生きている。

今年は退職からスタートし、息子のセンター試験、大学受験、大学入学。
生まれて初めての京都、25年振りの雇用保険受給、息子不在のため体調悪くし、しばらく自律神経失調症になり生活に支障があった。
母とケンカして、私はまた成長できた。
いつのまにかヘルニアの歩行障害がなくなって一万歩歩けるようになった。

夏も冬も京都に行けた。
京都東寺で、大昔の人にずいぶん前から愛されていたんだなと感じた。
1人で寂しかった毎日は、東寺でスッキリと柔らかに愛情に包まれた。

東寺の思い出を胸に、私はかねてから目標にしていた美容業界の職業訓練校に入校した。

新しい出会い、学びたかったすべてに向き合っていく毎日。

さよなら、小休止。

私は港を出る、やっぱりずっと1人はつらい。
そして同じ傷を持ってまた立ち上がる人と一緒に過ごしたい。
私はまたさらに強くなって、たくさん勉強する。本来の私にまた戻ろう。


1人の自分から、大勢のための1人に。

ギランバレー症候群

今日は、旦那さんがギランバレー症候群になって四肢麻痺の後遺症とともに生きることになってから16年目の日。

ぐっと冷えてきた、あの日もそうだった。

なんてことない風邪みたいなもので、すぐ家に戻ってくるはずだった。
冷える夕方だった。

16年たって、7歳だった娘は5年目の保育士として自立して、一人暮らしをしている。
3歳だった息子は京都の大学に進学し、一人暮らしでは、肉じゃがを作ってたくさん食べている。

子どもと死のう、と思った。
事故に合って死にたいと思った。

普通の生活は、一生送れないはずだった。
年金も出なかったし、家のローンもあった。

親に助けてあげられない、
と言われた。

目は見えても、白黒にしか見えなかった。
口頭の説明が理解出来にくくなった。
悪い夢の中だから、医者にも行かなかった。
悪い夢の中に入りこんだ、それだけだ。

なんだか、偶然に死ぬことはなかっただけ。
それだけのことだ。

家族が普通に暮らすために、犠牲にしたことや
迷惑をかけ続けた16年だ。
私にとって、ただ普通に暮らすのは困難な毎日だった。

私達、4人は黙って、ただ黙って生きた。

生きるのが、つらくて苦しく、理解を得られないことや共感されなかったり、マウントを取られたりイヤな気分にさせられるのは、本当に本当に当たり前のこと。

みんな誰かに、凄いとか褒められたいと思っている。あったかい気持ちになって、優しくされたり優しくしたりして過ごしたい。

ただ、もしそればかり気にするなら、それ自体が本当に幸せだと思ってほしい。

景色は、色がついていて、聞こえる声は楽しい話があって、みんな結局は生きてる。

生きていたって、実はそんなに長くないかもしれない。だったら、生きてもいい。

楽しくもない、しょうもない毎日はキレイ。

静かに黙って、生きていこう。