ヘルニア2か月と3日
10分歩いたら、立ち止まってスマホを見るフリして痛みが引くまで待った。
隣の空き地は造成され7軒ほど、新築住宅が建った。内覧会をしている住宅もあったけど、どこにも人がいなかった。
太陽の日差しは、右を向いてちょうど少し上にあり、寒い風に頬が冷いが日差しだけは7月に海で見たころのように眩しく輝いて真っ白な楕円形だ。輝いていた。
こんなふうに、太陽を見る余裕が出てきて気持ちもだいぶ安定してきたが、社会にはとうてい出ることは出来ないだろうし、頭の3割くらいは 専業主婦でいたいな、と思った。
15年前は、スマホは無いしネットフリックスはないしYouTubeは無いし、情報がなく本当に世界から取り残されたように育児をして家に引きこもっていたのに、今は自宅で仕事もできるし 習いにいかなくても無数に習い事が無料でできる。
退屈しない。
多少なら仕事も自宅でできそうだ。
仕事へ行き、ストレスを受けて、家計簿をつけずにその場限りの買い物を持ち金で適当に買う。 いつ、どこで、いくら使ったかわからない。 また働く。
今は無職なのに、食費が6万減った。 つまり6万稼いだ。
生活が変わってない。 逆に家がスッキリしている。
なぜ、働いていたんだろ あんなに腹を立てて、ストレスをためて。
来月の今頃は傷病手当金を全額貯金できるだろうか。病気が完治するまでは、本当にもらい続けることができるだろうか。
会社は完治するまで待つのだろうか。
私はいつかまた、働けるようになるだろうか。