ヘルニア退職
今まで退職するときは、こころの準備があったし職場に嫌気がさしていたなどがあった。
気持ち少しだけ、未練がある。
やっと話せるひとに会えたことや、今まで耐えたことに変化が出来たこと、頑張ってきた甲斐があった、と思えたこと。
最後の日、ヘルニアで倒れる直前まで、私はこれからの新しい自分のために机を片付けたり パワハラを受けている現状を書いたノートを 片付けたりしていた。
今思えば、それが私の最後の、あの場所でした仕事だった。
これからだ!と意気込んだあの時の気持ちが ボッキリと折られる形になったのだ。
わたしは、わたしが好きで 私の家族をいつも優先してきた。
他人はいつも知らんぷりで、助けてくれないものだから。
でも、なぜ いつもそんなふうに思うだろう。
夕方までパートして正社員と同じ責任を負わされるなら、正社員で働こうと始めたことだ。
わたしは、社会で自分の理想としていた会社の人になれなかった。 結局は家庭をとったし、今もそうだし。
家事が好きだし、家族が気持ちよく過ごせることに集中している。
どっちもはダメなんだろうか。 どっちもはダメなんだろうか。
また求人ページを検索している自分に嫌気がさす。働きたくない、専業主婦でいたい。
でも、きっとこのままなら貯金額が減っていくだろう。 でも本当にそうだろうか?
もしかしたら、働かなくても充分に生きていけるのではないだろうか?
私たちは、住宅ローンは無い。 カーローンも無い。
興味のないところに、無理やり自分の時間を使う、その代りにお金をもらう。
いつまで、そんな生活をしてわずかな休日のために、浮かない顔で生きるのか。
わたしは、新しい働き方を考える。
明日が私の、今までの働き方の最後。
悲しい気持ちで、自転車に乗ってつまらない静かな圧迫感のある職場に向かう。
その、最後の日。 ヘルニアと家族で乗り越えていく息子の大学受験と少しランニングが出来るようになったわたしと、清らかな1月の日差し、凍える水色に丸い鏡。