nkafeの日記

少ないお金で毎日しあわせ!

求人票とわたしができること

無職でいるつもりなんだ。

だから、別に何かをしなければならないことはなくて家族の朝ごはん、昼ごはん、晩御飯を気にして作って生きていたらいいだけのこと。 だけど、最近やっと自転車に乗れるようになってちょうど夕方に自宅のほうへ風を切って帰るときに、もう20年以上そうして夕方に自転車で自宅に帰っていた日々と夕方を体が覚えていて 「あ、無職なんだ。時間はたくさんある」 そう、しみじみと感じた。

幸せだなあ、と思うよりなぜか空くなった。 私は良い母親でいたいし、掃除や料理が好きだし、仕事もたくさんカッコよくしたい。 何かを捨てて、何かを得た。 確かにそうなんだろうけど、私は家事や育児をしながらいつかは憧れていた仕事も出来る自分に近づいていたはずなんだ。

アルバイトやパートではなくて、1人の人間として仕事だけに打ち込める人に、遅れたけれど追いつきたかった。 それに、追いついたはずだった。

「追いついたはず、だった」

失恋をして立ち直れないように、私はまだあの頃の生き生きとして、第二の人生を走り始めた自分を忘れられないでいる。 そして、まだ「あれは良く頑張ったな。」と振り返れないし、素直に良かったと思えない。

そして、また退職したことで息子の大学受験に後悔しないように、関われたことが嬉しいのと、こうやって結局は仕事を全う出来ない自分が情けないと思う。

私はやっぱり、仕事中心で生きていけない。 家族のために、そこそこ適当にしか働けない。

これからは、1つの会社にドップリ浸かって毎月給与をもらうのも難しくなる。大きい安心感に包まれていつまでもいられるなんて約束できない。正社員だったら安定するのは、今はまだ 安定だろうけど、リストラにならないために毎日毎日気をつけて仕事をするのもつらいと思う。特にわたしは。

家族の安定のためにだったら、その都度、状況に合わせて仕事を変えてもいいじゃないか。 結婚してから、23年で6個か。転職。

アルバイトだからいいじゃないか。

まだまだ、ヘルニアの痺れと共に気持ちも冷たく痺れている。まだ麻痺があるようだ。

時間はたくさんあるので、7000や4000とある 求人票の数を全部見ることが出来る。

人手不足でバタバタとしながら、イライラしながらたくさんの人が働いているようだ。 私は働いてないし、これから働けるかどうかもわからない。

そもそも、もう雇ってもらわなければ、と 思えない。

7000件の求人票を見終えた。