nkafeの日記

少ないお金で毎日しあわせ!

最後の、お弁当

よく、考えてみたら仕事をしながら毎日毎日、弁当を作ったものだ。 忙しかったな、大変だったなと自分を褒めたい気持ちになったし、今まさに仕事をしながら家事育児をしている方々にもっと適当になってほしいと思って、どこか近くにもいるはずの家事育児仕事に追われている方の後ろ姿や横顔を想像した。

さあ、最後の弁当になるのかと、炊飯器を開けたら微妙な量だった。 割と気に入っているドライカレーの粉で炒めてごまかしてみた。 オカズは冷凍食品のものにした、いつもどおり。人参と青梗菜を炒めた晩御飯の残りを隅に入れた、絶対に息子は食べない。f:id:nkafe:20220302091743j:plain

ちょうど、10年前からは4人の弁当を作った。 冷凍食品の値上げで、コンビニ弁当より高くなる手作り弁当。忙しい、金がいる、金が足りない、働く、給与は上がらない、忙しい、金で解決する、時間がない。

ふっと、大勢の前へ出てスピーチを勧められて前に出て行く瞬間のように急激に緊張して息が詰まり、どうにもコントロール出来なくてトイレに入ってみたり、暗い狭い場所に駆け込んだりする症状が続き始めたのがこの頃だった。

36歳だった。

みんなと同じように、いろいろな余計な荷物を持って歩かなければならない。諦めてはならないときに諦めては後悔したり、また歩いたり。 それは、年収が高い、住んでる家がデカくてリッチ、そういったことに関係ない。 あの頃の私は、私だけに襲ってくる不可解な病気と捉えていた。年収の高い母親なら、育児を諦めて、誰かに頼り何かあるたびに「母親らしいことが出来なくて」と誰かに頭を下げているのだ。悪いことでは決してないのに、頭を少しでもさげていないと、仕事ばかりして育児や家事が出来ないと思われてしまう。

誰かと自分を比較して、頭の中はいつでも成績表のように振り分けられる。

自分と比較して、あの頃より成長している自分がいる。誰かに褒められてなくても、誰かは認めなくても確かに私はあの頃、自分の精一杯を過ごした。

いつでも、実在するのは 「今の自分」

卒業式の事前練習で、学校に行ったのは2週間振りだった。

「なんか、食べれんかった。みんな食べよったけど、おなかすいてなくて」

まったく、手を付けてない弁当を私は開けた。