nkafeの日記

少ないお金で毎日しあわせ!

服を買う

久しぶりに、服をガンガン買った。

黒のパンツは3枚、部屋で暖をとるためメンズのトロイのベスト、ウルトラライトダウンのベスト、キルティングコート、リュック、赤白ボーダー七分丈セーター、白ニット帽子、パールネックレス、赤系チェックマフラー、チェックジャケット

今年の秋冬コーディネートを雑誌で調査して必要なアイテムを揃えた。
まだまだ、専業主婦として暮らし、この寒い冬を乗り越えていくための暖か部屋着アイテムも購入した。

こんなに購入したが、全部で8000円程度。

来年、春にはまたメルカリかブックオフに売ることになるだろう。

数が少ない中で服を着回すと、すぐ萎びいてしまう、なんというか使用感が出てくる。
ま、それはそもそもが人が来ていた、あるいは保管期間が長い新古品だから。

高い服を買って、長く着るのがカッコイイが、たまに安く買って10年着ているものもあるので
服には絶対にお金をかけたくないのが本心であり信念だ。

よく考えてみたら、私は服が好きなんだと思う。痩せたら早い、痩せたら。
結局一年で1キロも痩せて無い。

ヘルニア重症で、太らなかったらいい方だと自分に結局甘いのを辞めなくては!!

求職者支援訓練に行ってみた

求職者支援訓練の説明会に行った。
すごく近所だし、社会復帰にはまず近所で通いやすくいきなり仕事をするより気分が楽だから。前からそうしようとおもっていた。

エステシャンやアロマテラピーなどのセラピスト養成施設ということで、今までは仕事をすると言っても営業は土日だし夜間もあるし、就職しようと考えたことはないし、美容分野なので
キレイでスタイルが良く無いと採用してもらえないと思っていた。

今回、ヘルニア重症でやっとやっと一年かけて
ヘルニア前の体力に戻り、社会復帰したいという気持ちはあるのだがどの仕事もこれといってやる気が出ないし興味がない。
あまり興味深い簡単な事務などをしても65歳まで働けたとして、65歳からまたハローワーク
掃除や配膳のパートを探すと思うと心底うんざりした。

つまらん人生だ。

近所にエステシャン養成施設があるのは知っていたがこんな流れで、説明会に自分がくるとは思わなかった。

ヘルニアで痛みに耐えるときに、家にあったアロマオイルを匂って寝たり、深呼吸したりすると少し気がまぎれた。
ハローワーク雇用保険の申請に行くときに改めてエステシャン養成施設のチラシを見て、まだやってるんだ、行ってみたいなと感じた。

説明会の日がきた、予約制ではなく時間通りに行くと私が早めにきてあとは2人、私を含めて全員が若くもなく、キレイでもなかったことに
安心した。

訓練に年齢制限が無いことは良かった。
就職も少しは紹介してもらえるようだ。

先生方も大手エステサロン店長みたいに、真っ黒髪に夜会巻きなんてしてなくて、なんというか全盛期のエイベックスアーティストみたいで
安心した。

明るく、寛容で丁寧な説明だったし、謙虚で
しばらく4年くらいこんな人と一緒にいなかったなあ、と改めて思う。
自分もギスギスしていた。

来月中旬までに願書を出して面接があり、12月初旬に合否が決定する。

入校できるかはわからないし、先のことはわからないけど、今日は本当に久しぶりに自分のために自分で行って経験してきた最初の日。

ヘルニア退職で悔しくて痛くて泣くばかりの毎日は過去になって、10月から新しく、健康に始まる!

さあ、来年はどうしているだろうか。

私、なんも無いかんじや。

3年前に、同時に入社した彼女は、夜中の1時半まで一緒に酒を飲んでいて、話して歩いているうちに私と4キロ歩いた。

その雨上がりの夜中の歩道で、私なんも無いかんじ。と言ったのだ。

いや、なんもない、
何者にもなれなかった。
あるいは、何も成し遂げられなかった。
そしてまだ40歳というギリギリ感から、何もない『感じ』と少し希望を見せたのだ。

私は21歳で結婚し22歳で出産のデキ婚である
ものすごく若かったが私たちは赤ちゃんが大好きであり、育児が楽しかった。
あまり違和感なく若い結婚を受け入れていて違和感なく生活をしていた。収入は月に20万くらいだった。充分な生活だった。

子供が中学、高校になり私立には行かなくても部活やお小遣い、異常に流行ったニンテンドーDSのお陰で、生活がだんだんと苦しくなった。
ニンテンドーDSを無視するには義務教育を捨てて山に篭るしかないような日々。
子供は、1人の人間で自由に生きる権利がある。

私もアルバイト、パート、契約社員、派遣、
正社員と少しずつ身分を上げるつもりで収入を上げるうち、デキ婚しなければいまは、課長になっていたかも。と思うようになった。

今になって、こんなに子育て応援がある社会になり、銀行を辞めなければ。いまなら、辞めずに仕事が出来たのに、と悔しかった。

が、、、。

50歳を迎えようとするいま、同世代には彼氏いない、結婚してない、子供いない、実家の子供部屋おばさん。
これが、想像以上に多く、なんと仕事も非正規でパートだったりする。
自由な時間があり勉強する時間もあるが、もう
勝負にでるには遅すぎるし、勝負する時期を後回しにし過ぎた。

20代のときに何をしていたか、がその人のすべてになる。と誰かが言っていた。

私が、何かを得た!そしてそれが何よりも素晴らしく人に自慢出来るとは思わないけど、今は思う。デキ婚をしていなかったら、出世していたかもしれない、ではなくデキ婚していなかったら子供部屋おばさんになり、今はまだ本気を出せる時期じゃないからと、50歳にしてつぶやいているかもしれない。

改めていまは、デキ婚に心から感謝している。

10月は子供がよく熱を出していた、熱が引いたら喘息で咳き込み眠れず、アトピーはひどくなり家族全員でゾンビみたいになって暮らしていた。20代は毎日毎日、ゾンビだったな。
やっぱり、眠れないくらい必死で生きていて良かったな。

歯型代金請求

歯医者に約3年半ぶりに行った。

コロナに突入し、行けない感じになったのと
仕事ばかりで大変なのと、やっぱりコロナのウツル、ウツラナイ、ばかりが気になり行けなかったのだ。

久しぶりに歯医者に行ったら、歯型を取っていたんだから8000円くらい払ってほしい。

くらいの気持ちだけど。

と、少しキレられた。歯型を取ってからいけない状態になって結果、歯型が利用出来なくなってしまったことを、すっかり忘れていたし、歯型って取っていたのかな、と記憶も曖昧だ。

ほんとうに、申し訳ない気持ち。

なんだか、そういえば、受付で
いまさら、あんたよく来たね。

て、感じだったかもしれない。
そんな対応をされていたような気がする。

調べると、医者には損害はなく、保険からお金が入っているので本気で請求されることはないが、コロナ前から比較すると歯医者も売り上げというか収入は減ったんではないかな。

しかし、次こそは必ず来ます、と約束して改めて歯型を取った。

歯医者にかかって、麻酔やら歯を削ったり、ピンクのゴムみたいなんを食べてみたりしながら
口を濯ぎながら、ハンカチを握っていた。

この4年間は本当に私は、なんか取り憑かれたように働いて、転職して働いて、家族以外みな敵、であってただ働いていた。何も考えられないほどに緊張して働いて、節約してお金をためた、給与は入金と同時にほとんどが積立られて
しまい、大学学費貯金になっていた。
働くばかりで自分の楽しみもなかった、コロナで友人とも会えない。

なんだか、ぼーっとする。

4年間、誰にも、自分にもまったく優しくできなかった。無表情で走っていく、だれも、誰にも感動を与えない魚みたい。

大してでも、頑張ってもなかったんだろうな。
世間では普通なんだろうな。
でも、年収が350万しかないのに、子ども2人を県外の私立に入れて、借金が無いという今は、この4年間がいかにキツイものだったかがわかる。

値上がりで、愚痴ったり、無いお金に嘆いたりはもうしないだろう。

テレビやネットでそれらの焦りを見ても、なんだ今さらかよ、と思う。

歯型代金は2万くらいになる。
歯は何よりも大切だ。
2万と言われたら2万を出そう。

新しい歯と私はこれからの4年をどう感じるだろうか? 
歯を食いしばり生きていた10年、歯がビビ割れてしまっていた。

これからの4年は、歯を食いしばり我慢する4年を過ごしたく無い。危機感や緊張感が無いと思われていい。

身体が故障中でもう完治しないこと、できることが少ないし、無理したくないこと。
素直に言って、働けるとこなんて無いかもしれないけど、ここでまた流されてたまるか。

新しい歯とわたし。
自分を最優先で生きていいじゃないか。

求職者支援訓練

今月末に、ついに社会復帰する予定。

自転車も問題なく使えるようになったし、ヘルニアの再発も半日横になれば治るようだ。

決まった時間に、決まったことを、しかも他人が決めたスケジュールに乗っ取り、こなすことができるのかは不安だが、このまま家にいても
身体に良くない気がする。

1日、一万歩を達成することもでき始めたし、ヘルニアは大丈夫だと思う。長く使わなかったせいで血流や筋力が片方より弱いだけだ。

すぐ近所に、アロマスクールがあってそこが
ハローワークからの紹介で学べるスクールになっている。
アロマが稼ぐことに直結している雰囲気はまだ日本人は馴染みがないし、アロマの会社が大企業であるわけでもない。 

趣味の延長なんだが、近所で不安感が少ないし通いやすいし、体調に影響は無いだろう。

近所で手っ取り早く、短時間アルバイトをしようとしていたけれど、特定健診やガン検診が
来年2月にしか予約出来ず、アルバイトにしても来年春からにしようと思った。

ずっと、子供のために毎日毎日、必死で産んでからはストップせずに働いてきたのに、ヘルニアで意気消沈、退職してリセットした。

節約を極めていくと、生活保護くらいの金額で
生活できるようになったので、だいぶお金が残るため、どうしても働く!という気持ちにまだなれない。
家計簿をつけていると、焦るけれどそれもあと三年で大学の仕送りが終われば、さらにお金が残るため、ローンを少し組んでもすぐ返せるため、いそいでキツイ仕事をするのはやめようと
思っている。

そう、何かこうまったく気合いが入らない。

この感じが、アロマの世界にあっているんじゃないか。
気合いが激しい人はアロマの香がわからん、
そうじゃないか?

さようなら、独りぼっちのわたし。
ヘルニアで拗ねていたわたし。
不安症で部屋をウロウロして漢方薬をのんでいる私。

さようなら。

やっぱ、捨て活

めんどくさいし、これ以上なにもかもを断捨離してもなあ。

そんな日々だった。
値上がりがだんだんと始まったのは5年くらい前の消費税が上がってきた頃だ。
消費税込みの値段がスーパーの値札に表示されて、しょうがない値上がりだから、そう思っていたが2週間くらい経つと便乗値上げ、という存在を知る。
値上がりする食品以外にも、どんどん値上がりしていて考えてしまい、スーパー滞在時間が長くなってしまう。
そう、値上がりはひどい。

いま、また就活のことはいったん落ち着きを見せている。近所でパートを探すといっても、今住んでいる中古マンションにあと何年住むのか不明だ。いまはまだ値下がりしていないので、
売って、旦那の会社の近くにアパートを借りたらガソリン代金が安く済むのだ。

住む環境を変えたら、私もまた再出発できるような気がする。パパの病気の不安と闘っていたこと家計を気にしながら毎日毎日、パートと家事育児にバタバタしながら自分もパニック障害と闘っていたこと。みじめだった日々、長男のサッカーの活躍で気持ちを落ち着かせたり、長女の受験失敗に毎日毎日また泣いたこと。
しっかりした母親になりたいのに、一人前に育てなくてはと必死で、1人だけで抱えて過ごした毎日。

忘れてしまって新たに、自分を始められるかもしれない。

そのためには、やっぱり捨て活である。
自分が自分のために、捨てずに置いておきたいものはほとんどない。
いまあるものは、捨てると家族に怒られそうなものだ。

少しずつ話し合って、だいぶ無くなった。

メルカリ出品の出品数が200を超えたため、
今日はメルカリ出品物を精査して捨てる。
ブックオフに持っていった。

明日からは、新たにメルカリ出品の仕事をしよう。先々月から1か月間で5000円の売り上げが出来た。今月、出品して、たくさん出品して今度は一万円にしよう。

冷静になろうよ、焦るな。

小学校3年時、担任であった野島先生だけが、まともな人間だった。

あの場所はいったいどこだったのかわからないが、クラスのみんなで会いに自宅まで押しかけたことがある。

私は勉強は真面目にしていたんだが、変に明るくて嫌われるところがあった。いろんなことがわたしには面白いのだ。


なぜ、先生を思い出したんだろう。

家計簿をつけていて、ついついお金に焦りを感じてしまい、パート先をずっと探していて迷走し応募しては、断られたり辞退したりを繰り返している。よく、考えてみると無理しなくても奨学金や教育ローンは借りやすいのだから、最悪、借りることはできるのだから、無理して働くことはないのだ。
大学を卒業すれば、今必要になっている息子の生活費が全部残る。たったあと3年のために無理な興味ない仕事をするべきではない。

私が、パニック、頭痛、背中痛、腰痛、吐き気、持ち帰りの仕事、不眠、などを引き連れながら毎日毎日、働いているうち、遊べずに金とストレスを溜めて貯めて、過ごした四年。
気がついたら沖に流されて楽なリゾートで昼寝をしていて、周りは値上げやら給与減やら、中流危機を乗り越えられなくなり、みんなが沖に流されている。

私はみんなより、不幸のタイミングが早かったし、借金がないから生き残れたのだ。

焦って自分までまた、沖に流されなくてもいい。

ハローワークや人と話していても、仕事への執着の無さに嫌な印象を与えてしまう。

なぜ余裕があるだけなのに、気を遣って生活しなければいけないんだろう。

さっきから時給の話が出てこないけど、気にならないのですか?

時給より、自分に向いてるか好きな職種かを調べています。と正直に言ったら、相手が黙ってしまった。

私は、悪いとは思っていないよ。