nkafeの日記

少ないお金で毎日しあわせ!

ヘルニア2か月と5日

月曜日は会社の上司に容態を報告している。

まだ会社員なんだな、と実感するし人と会って話したりしながら忙しく仕事をしていたいな、 そんな日々もやはり自分が生き生きと過ごしていたなと懐かしく思うしそうしたいなと思う。

1番に大切なのは、息子の大学の合格や家族に負担がかからないこと。 生活していくお金があること。

なぜ仕事をしていたのか、は 大学進学の貯金のためだった。パートでも昨今は責任もあり残業もあるから思い切って正社員で採用してもらい仕事に見合う給与をもらう。

手取りで14.5万は私にとってかなり高取得であり毎月4万貯金した。それでも充分贅沢ができた おかげで60万貯金が出来た。 コロナの中だったが順調に主人も昇給して貯金ができて大学受験を目前に370万くらい貯金が出来た。無利子の奨学金も採用決定した。

二人で400万しか収入がなかった。 15年前主人が難病に倒れて、一年後復帰したが 収入は初任給まで下がり、私も3歳と7歳の子供を育児しながらでスーパーでシフトを代わってもらいながら自由の効く仕事をしていた。 15年前は今ほど育児しながらの仕事に優しくなかったので、土日休んで平日も育児看護で休める仕事はなかなかなかった。

上の子を県外の短大に進学させて、希望通り司書と保育士資格を持って今は保育士になり1人暮らしをしている。収入に困ることなく元気に社会人として仕事をしている。 下の子も国立大学を希望して進学校では1番賢いクラスで2年頑張ってきた。大好きなサッカーでの活躍はできなかったが、国立大学を目指すクラスで上位の成績で今まで勉強を続けた。

あんなに経済的に苦しかったけど、旅行も行けないままやったけど、2人の子供が立派になれたのは、お金の使い所を間違わなかったところと 子供が健康で主人も病気を克服し、私が少しずつ時間が長く、給与が高い仕事に転職出来たことだ。

スーパーでしか働いてなかったのに銀行派遣で 泣きながら2年耐えたり、1日400キロの長距離運転をして広報活動の仕事をした。

ヘルニアになって、じっくり休んで勉強するべきなんじゃないかな。 と思う。

もしかしたら、もっともっと 稼げる能力が身につくかもしれない。

傷病手当金や失業保険、それに関する受給の仕方を勉強して、長くまた職業訓練して新たに 出来ることをゆっくり探していこう。