ギランバレー症候群
今日は、旦那さんがギランバレー症候群になって四肢麻痺の後遺症とともに生きることになってから16年目の日。
ぐっと冷えてきた、あの日もそうだった。
なんてことない風邪みたいなもので、すぐ家に戻ってくるはずだった。
冷える夕方だった。
16年たって、7歳だった娘は5年目の保育士として自立して、一人暮らしをしている。
3歳だった息子は京都の大学に進学し、一人暮らしでは、肉じゃがを作ってたくさん食べている。
子どもと死のう、と思った。
事故に合って死にたいと思った。
普通の生活は、一生送れないはずだった。
年金も出なかったし、家のローンもあった。
親に助けてあげられない、
と言われた。
目は見えても、白黒にしか見えなかった。
口頭の説明が理解出来にくくなった。
悪い夢の中だから、医者にも行かなかった。
悪い夢の中に入りこんだ、それだけだ。
なんだか、偶然に死ぬことはなかっただけ。
それだけのことだ。
家族が普通に暮らすために、犠牲にしたことや
迷惑をかけ続けた16年だ。
私にとって、ただ普通に暮らすのは困難な毎日だった。
私達、4人は黙って、ただ黙って生きた。
生きるのが、つらくて苦しく、理解を得られないことや共感されなかったり、マウントを取られたりイヤな気分にさせられるのは、本当に本当に当たり前のこと。
みんな誰かに、凄いとか褒められたいと思っている。あったかい気持ちになって、優しくされたり優しくしたりして過ごしたい。
ただ、もしそればかり気にするなら、それ自体が本当に幸せだと思ってほしい。
景色は、色がついていて、聞こえる声は楽しい話があって、みんな結局は生きてる。
生きていたって、実はそんなに長くないかもしれない。だったら、生きてもいい。
楽しくもない、しょうもない毎日はキレイ。
静かに黙って、生きていこう。